人や組織(社会)はそんなに簡単に変われない
- Anney
- 9月29日
- 読了時間: 3分
パリの地下鉄のこの世界は、昨今、始まったものでもなんでもない。
40年前に私が見たパリの地下鉄の世界そのものだ。
(あたかも時代の変化に合わせてトランスフォームしたものかのように言ってるけど)
「パリの地下鉄」を見ればわかる、日本人が貧乏になった理由…在仏作家が目撃した「東京ではありえない光景」
翻って日本の風景も、この記事に書かれているように40年前の風景そのものだ。
つまりそれぞれの社会が時代(外部環境)の流れに合わせて自分自身を変化させた今をつくってるんじゃなくて、それぞれの社会が持つ強みが発揮される時代(外部環境)がやってきたんだと思う。
とにかく画一的、高品質なものを大量に生み出して(いかに良質な金太郎飴をより速く、より安く造るか)社会に供給することが国の豊かさをつくった時代は、日本のような同質で同調圧力が強い社会構造が強みを発揮し、次から次へと目まぐるしく変化し、多種多様なものを社会に供給することが国の豊かさを生み出している現代の社会は、フランスのような多様で様々な価値観の中で人々が生きている社会構造が強みを発揮している。。。
そういうことなんじゃないかなぁ。
人がひとつの生命体であり、有機物である以上、そんなに簡単に変化なんかできないってのが、科学の摂理なんじゃ(私は、科学者でもなんでもないから、理論的な根拠とかなくて言ってるけど(笑))。
人は生まれた瞬間は真っ白なキャンパスで、時間をかけて自分が生きていく術を、自分が育った環境の中で学習していき、その学習は時の経過とともに無意識の奥底の領域へとどんどん押し込められていって、その人がその人間社会の中で生き抜くことの「当たり前」となっていく。
日本で生まれた育った人のどれだけの人が、自分が知らない場所で育った人の中にある「当たり前」に出逢い、その「当たり前」と自分の中の「当たり前」の違いに気づく機会があるのかな。
そして、その違いに気づいた人の中のいったいどれくらいの人が自分自身を変革していくことの必要性に気づき、さらにその中のどれだけの人が、実際に自分自身の変革ために行動するのだろう?(きっと、すっごいものすごく少ない割合なんじゃ)
そうやった考えたとき、人の集団でできてる「社会」の意識が変化する(トランスフォームする)なんて、そんなたやすいものじゃないはずなんだよな。
だからって「しかたないじゃん(そう簡単に変わらないんだから)」っていうのは違うじゃないかと、私は思っている。
そのこと(そんなに簡単に人や社会(組織)は変わらない(トランスフォームできない))ってことをわかりつつ、自分が手が届く範囲で、自分ができることをして(悪あがきをして)ジタバタしたいんだよね。
それがこれまでの時代をつくってきて、今の時代を生きている「おとな」の務めなんだと、私は勝手に思っている。
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