見えていない「前提」を考慮しない「鵜呑み」&「完コピ」の危うさを考える
10月22日の日経新聞朝刊一面の記事。
シリーズ記事ですが、興味深く読みました。
日本の経済は、長らく続いた(なんと!30年もの間!(;^ω^))低成長時期からようやく脱出の兆しを見せ始めている昨今、そして、世界の中で最も少子高齢化社会に突入する(既にしている)日本社会において、何よりも深刻なのは「人手不足」。
年ごとに若者の数が減って行くわけだから、特に、若い、優秀な人材をいかにして確保するかは、組織にとってヤバいレベルの問題だ。
「日本では自由すぎて成長機会がない会社を若者が見限り始めている。PwCジャパングループが2024年に行った調査。部下層のZ世代(18~27歳)が1年以内に転職する可能性は前年比23ポイント増の54%になり、初めて世界平均(38%)を逆転した。Z世代の転職志向は世界でも強い。」
とあります。
なんと、現代の日本の人材状況は、Z世代の2人に1人以上が1年以内に転職する時代ってことですっ!
人を採用するための投資コストは、決して安いものではありません。
ホントに、ここ数年で転職エージェント企業が乱立してますけれど、採用には驚くほどの費用がかかります。
さらに、応募してくる人の履歴書、職務経歴書の吟味、評価、選別(大手の企業はこの作業自体をエージェントに委託していたりしますけど)、面談(多い時は3回以上、やったりしますね)など、採用までの調整にかかる時間や準備など、ばかにならないコスト(主に、この業務に従事する人の人件費や業務委託費になるわけですが)だったりします。
んでもって、採用決定して、入社が決まると、企業側には給与の他に社会保険料の負担、という費用がのしかかります。人がひとり増えれば、その人の就業に伴って労務管理や福利厚生管理などのコストもかかってくるわけですが、、、これ、全部、企業の将来を担う「人材」という資源に対する「先行投資」なわけです。
そして新卒採用の場合は、仕事を覚えて、企業(組織)活動に貢献できるようになるまでには、それなりの時間(少なくても半年くらいはかかるんじゃ?(もちろん、例外的に超即戦力になる人もいるけれど)大手企業(例えばT社など)なんかは、1年くらい研修やってたりしますね)がかかるわけで、この期間に発生している費用(いわゆる人件費)は、ほぼ「先行投資」になるってことになります。
「先行投資」は、あたり前に将来のリターンを期待している行っているわけですが、ここまで投資てして(結構な金額になると思います)2人に1人は、リターンどころか投資分を回収すらすることなくいなくなっていく。。。って、、、
採用する側からしたら、かなり「トホホ。。。( ;∀;)」な感じじゃないですか。。。
この記事には、もう一つ興味深い記述があります。
「厳しく管理しても、居心地が良すぎる職場を作っても、社員はキャリアへの焦燥感を募らせ会社から逃げ出す。」
なんとっ?!
居心地よすぎても逃げ出す、って。。。(;^ω^)
採用する側(企業)は、そんな「いいあんばいの働く環境」を準備しないとダメなんですか?!
ってか、そもそも、そんなこと不可能なんじゃ・・・?
そして
「「働かせ方」の難易度が高まる一方、管理職は適切な報酬をもらえていない。米マーサーによると、日本の大企業の課長の平均年収は10万491ドル(約1500万円)。米国の5割以下でタイとほぼ同水準だ。
若者のマネジメントに詳しい金沢大学の金間大介教授は「報酬などを含め管理職を支える仕組みが必要だ」と指摘する。管理職に「働かせ方」改革を任せるだけでは、次は管理職が逃げ出すことになる。」
と締めています。
これ読むと、日本企業(組織)の採用スタイル(戦略)や報酬制度、マネジメントスタイルは、グローバル的にみてダメダメなんじゃ?って思えてしまう。。。けど、本当にそうなんでしょうか?
この記事では語られていない、
・欧米諸国を始めとする海外企業での人材採用のスタイル
と
・日本企業での人材採用のスタイル
の「前提」の違いをちゃんと考慮して、人材の採用と育成は総合的に考えるべきなんじゃない? って思うんですよね。
例えばアメリカやお隣の韓国なんか(他の多くの国々がそうだと思う)は、企業(組織)に対して、何かしら具体的に貢献できることが明確に示されない(エビデンスがない)と、雇用されることは、まず、ありません。
つまり、組織が支払う報酬(コスト)に対して、必ず何かしらの見返り(リターン)があること、というのが雇用の最低条件です。だから、組織が支払う報酬(コスト)に対して、見返り(リターン)が得られない、となったらすぐに解雇されますね。
ですから、大学を卒業して社会に出る若者たちの就職は、熾烈を極めます。
実際に企業で働いた経験がなければ、企業においての仕事とはどのようなもので、どのようなことが求められるのか、そしてその中にあって自分自身はどんな価値を発揮し、企業に貢献できうるのか、なんていうのはわかるはずもありません。
で、若者たちはどうするかといと、大抵は大学時代の在学中に実際の企業に「インターンシップ」という形で働き方の実践体験&自己PRに行くわけですね。
この企業で働く「ナマ」の体験の中から、仕事とは何かを知り、自分が発揮できる能力や貢献価値を自己開発し、ひいてはその貢献価値をインターンシップ先の企業にアピールすることで、自らの手で「採用」という権利を勝ち取って行くわけです。ですので、当たり前に働く側は「無報酬」です。その機会を与えて貰えるだけで、ありがたい、って話ですから。
それに引き換え、日本企業の殆どは、「採用」という権利を先に渡す、つまり報酬を払う、ということをしちゃいます(先に人材に投資する)。
諸外国の企業の経営感覚したら、
「見返り(リターン)がわからないのに、報酬を支払う(コストをかける)とは、なんて太っ腹なんだ?!」
ってことになってると思います。
それどころか、採用後も様々な教育や研修を施したり、職場においてOJTをやったりなんかして、さらにコストかけて採用した人材の能力や価値の開発までやるわけです。
恐らく、こんなことを殆どの企業がこぞって(疑いもなく、当たり前のように)実施している国は、日本以外には存在しないのではないでしょうか(調べたらあるかもしれませんが)。
諸外国の採用スタイルと日本型の採用スタイルの良し悪しの評価はさておき、日本企業の多くはここまでして、且つ長期的な視点で人材を育てていく、という文化が前提になって採用がなされているわけなのです。
過労死やハラスメント問題が取り上げられ、数年前から「働き方改革」が叫ばれるようになり、残業規制、JOB型業務の導入、ハラスメント対応など、企業(組織)の中で働く一人ひとりは、既に「がんじがらめ」の状態で日々の業務をこなしています。
次から次へと「あれもNG」「これもNG」が降ってくる中で、生産性の向上と成果達成の基準だけはどんどん増し続け、KPIという名の数値目標の達成を求められ、現場で働く一人ひとりの疲弊と不満は増し続けていると感じます。
様々な規制や制約が多くの人たちの「やるべきこと」を阻んでいるにも関わらず、求められることは増え続け、また、そのリードタイムは圧縮される一方です。
その中でも、その課せられた高い成果目標を達成するためには、誰かがその「やるべきこと」をやらねばなりません。
それを多くの企業では「ミドルマネジメント」という言われる中間管理職の人たちが巻き取っている(担わされている、といった方が正しいかも)わけです。
そんなミドルマネジメント層の姿を見て、多くの若者は自分の将来への不安を覚え、その組織の中で生きることへの希望を見失っていくのだと思います。
「この会社で働き続けたたら、俺も、私も、将来はあんな風になるのか。。。?」
「俺は、私は、あんな風な働き方はしたくない」
日本という国の企業がこれまで培ってきた数々の文化的背景や前提を蔑ろにして、単に上っ面の
・JOB型組織やJOB型人事制度
・ハラスメント対策
・残業規制
・女性活躍推進(管理職や取締役登用など)
など、諸々のことを鵜呑みにして、アメリカや諸外国のやり方の完コピしてきた弊害が、今、多くの日本企業で露呈してきているのではないかと思えるのですよ。
今、米国最大のHRDコミュニティ「ATD」が出版した「ATD’s OD Handbook」という原書の勉強会をやっていますが、この書籍を読み進めるごとに、その国の経済を為している文化的背景や企業(組織)経営の前提となっている暗黙知、というものを蔑ろ(見ない)にして、上っ面(見えていること、現れていること)のハウツーや戦術を鵜呑みにして猿マネの施策だけを実施することの危うさを感じます。
日本という国は、その言語の成り立ちからもわかるように、昔から外からのものを取り込み、独特なものを生み出しながら、国を成長、発展させてきました。
戦後の日本の高度成長を支えてきた企業(特に製造業)も、そのように成長、発展してきたと思います。
時代の主役は、高付加価値のモノ(有形)を作って売る(製造業)から、高付加価値のサービス(無形)を提供する(サービス業)へと変わりました。
今こそ、日本の企業は単なる米国のやり方を鵜呑みにして猿マネをする企業(組織)運営から、「日本企業(組織)ならでは」の企業(組織)のカタチを生み出し、トランスフォームするときなんじゃないかと思うのです。
コメント