top of page

「組織は戦略に従う」のか?「戦略は組織に従う」のか?

組織開発や人材開発、あるいは経営に関する領域に何からしらの関わりをお持ちの方なら、誰もが一度や二度は耳にしたことがあるであろう、二つの説。


チャットGPTさんに尋ねてみると、

 

 「組織は戦略に従う」 - アルフレッド・チャンドラー

この概念は、経営史家の**アルフレッド・D・チャンドラー(Alfred D. Chandler)**が1962年に著した『経営戦略と組織』(Strategy and Structure) で提唱されました。


概要: 企業の戦略が先に決まり、その戦略を実行するために組織構造を変更すべきだと主張しました。

: 企業が新しい市場に進出する場合、その戦略を支えるために、新しい部門や組織形態を作る必要がある。


「戦略は組織に従う」 - ヘンリー・ミンツバーグ

一方、カナダの経営学者**ヘンリー・ミンツバーグ(Henry Mintzberg)**は、「戦略は組織に従う」という逆の視点を持っています。彼は、組織の既存の構造や文化が企業の戦略に強い影響を与えると主張しました。


概要: 企業の既存の組織構造や文化が、どのような戦略を採用できるかを制約すると主張しました。

つまり、組織の現実に合わせて戦略が自然と形作られるという考えです。

: 官僚的な組織では、柔軟な戦略を採用するのが難しく、既存の構造に合った保守的な戦略が選ばれることが多い。

 

どちらが正しいのか、どちらの主張を採用すべきか、というのは、いろんなところで、いろんな偉い人達がよく言っているけれど、私は、どちらか一方の二者択一の選択肢ではないと思っている。


なぜなら、「どちらも正しい」し、「どちらも正しくない」と思うので。


それは、その組織がおかれた時代背景(外部環境)、組織のステージ、そして、どの視点から組織を視るか、によるはずで。

ある側面から見れば一方が正しいけど、他のある側面から見ればもう一方だって正しい、っていうのは人間が織りなす社会(組織)では常であるし、これは私たち人間というものが「主観的世界で生きている」生き物である限り、永遠に繰り広げられ続くことなんじゃないかと思っている。


 

約15年前、

「なんで、この国の会社(組織)は、自分たちの中でお互いの足を引っ張りあうことに、最大の力をエネルギーを使っているのか?」


「なんで、この国の会社(組織)は、強い(立場の)ものが、弱い(立場の)ものから搾取することを”当たり前”だという暗黙知に支配されて、一人ひとりが(無意識に)動いているのか?」


「なんで、この国の会社(組織)は、”勝ち組”と”負け組”という区別を自分たちで作って、組織(会社全体)や集団(部署、チームなど)の中にわざわざ「分断」を生み出しているのか?」


私がこの頃、言っていた口癖のような言葉がある。

「なんで、そっち(例えば、海外の子会社や代理店、取引先やシステム開発ベンダー、一緒に働く協力会社など)と、こっち(主体となっている会社)を区別する必要があるんですか?全て(グローバルも含んで)を全体で見て、「All 〇〇〇(会社名)」で最適になれば、それでいいんじゃないですか?それが(この会社の)一番目指すところなんじゃないんですか?」


総論賛成、でも、各論は反対。

なにしろ一人ひとりはこの会社(組織)の中で自分の身を守らねばならない。

全体の構造(会社を取り巻く物理的な構造と、一人ひとりの中に埋め込まれた人の意識的な構造)の中においては(支配されている)、遠い将来にある、しかも自分との関係を実感できないようなところにある「理想像」なんて、単なる机上の空論にすぎない。

現実は「そんな”きれいごと”や”理想論”では、生きていかれないのだ!」ということである。


そんなことよりも、ここ数年先の自分に与えられたゴールを達成することが、何よりも優先すべき喫緊の事柄であり、それを達成することが自分や家族を守る最大の手段であり、生き抜く術なのだから。

その会社(組織)の中においては。


それを勝ち抜きさえすれば、「搾取される側」から「搾取する側」に立てるのだ。

もう、お互いに足を引っ張り合い、鎬を削る様な争いの世界から離脱し、「安全圏」に入ることができるのだ。


かくして仲間内での争いと戦いは続き、分断の溝を深め、意志ある人は去り、残る人々は心を苛まれ、、、会社(組織)は本来の価値を見失い、嘘や不正行為が蔓延、常態化して、力を失って行く。


 

Chapter 6 [ Business Alignment : Designing an Organization to Meet Business Objectives]

の学習を終えました。


その中にこんな主張がある。

「新しい組織構造に配置できなかった既存の従業員については、次のステップを決定する必要がある。新しい組織に彼らのスキルや能力に適合する役割がなく、組織内の別の部署(異なる部門やポートフォリオ内の別のブランドや企業)に彼らが適任となる空席もない場合、人員削減(RIF)により彼らの雇用を終了しなければならない可能性がある。

(For existing employees that you have not been able to place in the new structure, you will need to decide on next steps. If there are no roles in the new organization that align to their skills and capabilities and no open positions for which they are qualified in another part of the organization (a different department or another brand or company in the portfolio), you may have to terminate their employment via a reduction in force (RIF).)」

(出所:ADT's Organization Development Handbook)


この章は、L&D、HRDのプロフェッショナルが、組織開発に重点を置いた考え方にシフトすることによって、いかにして組織の業績向上にミートする組織設計を行い、そこにどのように人的リソースを采配していくのか、について述べられている。


しかし、組織開発を(少しは)知る人間として思うのは、

「これは組織開発なのか?!」

「これは、単に人を組織の業績向上のための一道具として、どう使い倒したらよいか、と言っているのと何が違うのか?!」

という思うが湧き上がってくる。


組織開発の中心にあるのは

「人の活動を中心に据えた組織活動」なのだ!

「組織は、一人ひとりが、いかに幸せに、心裕かに、自分らしくいきる「場(土壌)」なのだ!

組織(業績を上げる)のために人が存在するのではなく、人が(自分を)生きるための「場」として組織は存在する」のだ!

「業績は、「目的」ではなく、一人ひとりが自分らしく生きている「結果」であり、組織はそれを実現する「手段」である」のだ!


このような(西洋的な、「白か黒か」の二者択一で、中庸という概念を持たない)考え方に支配された組織が、上記のような身内で内輪もめを繰り返し、同士が同士を貶め合い、組織の弱体化を助長していっているのではないだろうか。


 

「組織は戦略に従う」

「戦略は組織に従う」


その組織がおかれた時代背景(外部環境)、組織のステージ、そして、どの視点から組織を視るか、による。

ある側面から見れば一方が正しいけど、他のある側面から見ればもう一方だって正しい。


私たちは同時に2つのものを見ることはできない。

だからこそ、気に留めておくことが必要だ。


自分が見ているのは、この世に無数に存在している一つの側面にすぎないことを。

自分の外には、無数の側面が存在していることを。


そしてその無数の考え方や、大きな声の主張に惑わされることなく、

「私はどんなものの見方をしているのか」

「私にとって譲れない「正しさ」とは何なにか」

を、しっかりと明確にしておくことが、

「自分が自分を生きる」

ことなんじゃないかと思う。



 

無料メールマガジンのご案内

組織開発や人間関係づくりに関する豆知識・イベント・勉強会などのご案内をお届けしています。

よろしければ、読者登録をお願いします。







Comments


​コミュニケーション診断
10の質問に答えるだけ
メルマガ登録
最新記事
アーカイブ
特集記事
タグから検索
ソーシャルメディア
  • X
  • Facebook Basic Square
  • Instagram
  • LinkedIn
bottom of page